クレオパトラの針(Cleopatra's Needle)

  ハンガーフォード・ブリッジ(Hungerford Bridge)をチャリング・クロス駅(Charing Cross station)側に渡った少し北側にクレオパトラの針(Cleopatra's Needle)があります。高さ20.87m、重さ187t(推定)、赤色花崗岩のオベリスクです。そもそも、このオベリスクは紀元前15世紀のファラオ(王)であったトトメス3世が、聖なる都ヘリオポリス(カイロ近郊に存在した古代エジプトの都市)に建立したものの1本だそうです。トトメス3世はオベリスクを少なくともヘリオポリスに2本、カルナックに7本、合計9本立てたと言われています。そのうちのヘリオポリスの2本を紀元前23年~12年頃にローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス帝が、アレキサンドリア(カイロの北西208キロに位置する、エジプト第2の都市)のカエサリウム神殿の正面に飾るため、アレキサンドリアに運んできたということです。しかし、神殿は荒廃してオベリスクだけが残りました。1303年の地震で西側の1本は倒れてしまい、19世紀にはほとんど海没しそうになっていました。その倒れて海没しそうになっていたのがこれです。
  立っていた方はその3年後の1880年にニューヨークに運ばれました。したがって、いまアレキサンドリアには1本のオベリスクも残っていません。
  そもそもエジプトのオベリスクがなぜイギリスの物になったかというと、当時エジプトに攻め込んでいたナポレオン艦隊をネルソン提督が率いるイギリス艦隊がアブキール湾(エジプトの地中海側に広く開口した湾)で打ち破り、続いてアブキール平野の戦いでもフランス軍に勝利した戦利品として、このオベリスクをイギリスにもたらそうと将軍カヴァン伯爵(1763-1836)が考えたのが始まりのようです。
  1819年、エジプト総督ムハンマド・アリはこのオベリスクをイギリスに“贈呈”してもよい、との承認を与えしました。 1831年にはその承認は再確認されたのですが、イギリス政府は運搬費用の支出に難色を示し、移送計画は停滞したままでした。
  「クレオパトラの針の移送(transporting Cleopatra's Needle) 」も参照してください。
基本情報
      地図:クレオパトラの針 <Google Mapで表示>
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